筆墨日記365

2009年6月15日 (月)

筆墨日記

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最近このブログの更新が数日おきとすっかりペースダウンしています。助走そこそこで一気に全力疾走したアホなマラソンランナーみたいなもので、早くも息切れです。
一方、毎朝墨を擦って筆でなにやら書き連ねるているのですが、こっちのほうは続いているんですね。ブログはデジタルの最たるもので最近のものですが、この墨と筆というものはやはり体に馴染んでいるのでしょう、毎日でもあまり負担になりません。
もうかれこれ5年続いていますので月一冊ずつの和綴じにしたものがこの3月で50冊の大台に上がりました。
年12冊、これをシリーズとして「札幌アートディレクターズクラブ」コンペに出品しています。一昨年、去年と2年連続で銀賞を受賞しました。昨年は嬉しいことに会員審査賞とのダブル受賞でした。今年も10月にコンペがあるので同じく12冊を1シリーズとして出品予定でいます。

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2009年4月 2日 (木)

2006年4月の筆墨日記

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三年前の筆墨日記に目を通していると4月2日はこんなことが書いてありました。

「この一日から大岡信の『折々のうた』が再開された その最初のうたは茨木のり子の次のうた

心臓のポンプが軋むほどの
この忙しさはどこかひどく間違っている
間違っているのよ

大岡氏も健康を害しての休載であったから、これは自らにも言い聞かせるべく、また、同じように多忙を抱えていると思われる多くの読者へのメッセージであろう 因みにこのうたは茨木のり子の医師である夫を詠んだ『大男のための子守唄』の一節」

この日記から昨日朝のニュースを思い出してしまいました。それは、救急医療の医師が4人同時に辞めた。というものですが、原因は勤務が非常に過酷でありながらあまりにも報われない待遇にあるというものです。待遇とは報酬というお金のことだけではないようです。“虐げられている”という言葉が全てを物語っていて、医療の現場もそうとう大きな問題を抱えているようです。


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2009年3月24日 (火)

旗振るな 旗振らすな

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作家の城山三郎さんが茅ヶ崎の病院で肺炎のために亡くなって2年になります。
『黄金の日日』『男たちの好日』『落日燃ゆ』など、実在の人物をモデルにしたノンフィクション風の小説を数多く著していることでよく知られている。のですが、お恥ずかしい話じつはまだ一冊も!目を通したことがないのです。
没後2008年に新潮社から出版された『そうか、もう君はいないのか』は、城山三郎の遺稿を編集したエッセイで妻容子さんとの結婚から別れまでの日々について記されているもので話題になりました。テレビドラマにもなりました、がこれも未読です。
日記に書き写した「旗振るな 旗振らすな」の詩は新聞のコラムに出ていたものですが、この詩から城山三郎さんを貫く強い意志を感じます。じっくりと読んでみたい作家の一人です。
右ページはご存知「虎屋の羊羹」。“とらや好き”を知ってる家人の土産です。今は有名デパートの名店街などにも出店してるのはたいへん結構なのですが、老舗の味もしっかり守ってほしいものです。いやそれにとどまらず吟味を加えて舌を唸らせてほしい、というのが贔屓としての正直な感想でしょうか。

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2009年2月25日 (水)

ななつぼし

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車で15分ばかり走ると安売りスーパーがある。このご時世ということもあって比較的すいていると思われる時間帯に行っても大盛況である。なにせ近くの某有名スーパー当旧(言っちゃった、ハハハ)だとちょっとの買い物でもなんでこんな値段になるの?というくらい割高感があるのだが、ここ萬棒(また言っちゃった。でもこれは良いのか、ハハハ)は実感としては、そうだな半分の値段だ。先日客人があるので鍋にしようと材料を買い込みにいった時に美味そうないわしの丸干しが目にとまった。値段は一把129円。全長20cmオーバーの丸々と肥えたやつが3尾。堂々たるものだ。真鰯、七つ星とも言われてDHAなど栄養価が高くて成人病予防に効果があるときてるんだから言うことはない。
これで103歳現役バリバリの昇地三郎さんの「一回30回噛む、さすれば量も半分」を実践すれば怖いものなし。

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2009年2月24日 (火)

映画「おくりびと」受賞の快挙を喜ぶ。

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素晴らしい映画だった。主演の本木雅弘はじめ山崎努など脇を固める陣容の好演もあって観終わった後こころがぽっと温かくなった。本木が10年近くあたためていた企画だったらしい。新聞の見出しにもあったように監督はじめ俳優、スタッフは「まさかの受賞」だったとのこと。米国の映画配給担当者が「日本人の繊細なもてなし方を感じた。このメッセージは伝わるから自信を持って欲しい」と本木に語っていたそうだ。今の世界のありようは繊細とは対極にあってがさつでしかも暴力的だ。そんな中でこのメッセージが世界に届いた事実は一条の光が差したようで本当に嬉しい。

「しこふんじゃった」で好演した本木雅弘の印象もまだ鮮明で「おくりびと」(納棺夫日記 青木 新門著 文春文庫)もその特異なテーマとあいまってぜひとも観たい映画の一本だった。去年の11月9日映画館へ足を運んだ。この日記はそのときのものです。


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2009年2月23日 (月)

焚くほどは風が持てくる落ち葉かな

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札幌もここのところの降雪で例年通りの雪景色になった。もちろん雪ハネ(こちらでは“雪かき”とは呼ばない。ハネるという力の入った作業が必要だからだ。)の大変さはあるのだが、小雪で貧弱な雪景色を見ることから比すればはるかに愉快だ。

さて、先日『グラグラ日記』の一ページを見ていただいた。あれは全てデジタルでの仕上げだった。さすがに毎日一年続けると疲労も極に達した。で、翌年の1月1日から今度は墨をすり筆で認めることにした。毎日のことで一月もするとかなりの束(つか)になる。それを四つ目の和綴じにしたものが早いものでこの3月で50冊に達する。まぁ、自在というと聞こえはよいが勝手気ままな落書き帳のようなもの。

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今回はその中から立松和平さんの文章を書き写してみたものをご覧いただくことにします。
この良寛のような生き方がもしできたら…などと想像しただけで心の中を一陣の爽風が吹き抜けていく心地がします。

良寛の俳句 立松和平
良寛は一衣一鉢、すなわち袈裟と托鉢の鉢しか残さず、雲をたのみ流れる水をたのみとして生きてきた放下の僧である。一生を修行についやした雲水で、死ぬときに一寺の和尚でもなければ、僧の階位も残さなかった。
禅僧でありながら、遷化の後は支援者木村家の菩提寺の浄土真宗寺院の墓に入った。自由自在である。 だが何も残さなかったのではない。その生き方を残し、たくさんの詩歌を残した。良寛の漢詩も和歌も俳句もよい。それらを紙や鍋蓋に書いた書が何よりもよい。
短い俳句であっても、良寛の人生がしみじみと込められている。良寛の独居した五合庵の近くに句碑が建てられている。
焚くほどは風が持てくる落ち葉かな
長岡藩の藩主牧野忠精(ただきよ)は良寛に私淑し、長岡城下に寺院を建立するからそこの従寺和尚になってくれるよう五合庵にきて懇願する。それに対する良寛の返事である。僧たるものは衣食を自ら求めてはならない。生まれながらの食分はあるからで、そんなことに気を配るより仏道を一途に行じなさいというのが、良寛が愛慕してきた道元の思想である。落ち葉を焚くのに掃いて集めることはない。自然に風が持ってきてくれるということだ。その清廉な生き方を快く感じた藩主は、道の人としての良寛への思いを深くしたことであろう。
うらを見せおもてを見せて散るもみじ
良寛の辞世といいたくなるような俳句である。喜びも悲しみも、長所も短所も隠すことなくさらして生きてきた人生であるが、ひらひらと舞い散るもみじのように結局自分も死んでいく。いかにも良寛らしい句だ。この発句は芭蕉とも交友のあった八木因(たにぼくいん)の<裏ちりつ表を散りつ紅葉かな>を先行句とするのだが、両句はずいぶん趣が違う。良寛はこの句に自己の人生を透かせ来し方を深く込めている。写生とは違う。すでに良寛独自の句といってよい。高い境地を感じさせる。(作家)
2008年9月8日 朝日俳壇「うたをよむ」より

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